校長室の窓から

2025年4月22日 静修の日 -光の子として照らされ、生きる- 

春の柔らかな日差しの中、校内のムスカリやドウダンツツジが静かに咲き始めた日、全校で「静修」の時を持ちました。

1年生は聖堂で、「照らされて生きる光の子」をテーマに一日を過ごしました。

指導してくださったのは、神言会の暮林響神父様。神父様のギターと温かな歌声に合わせて、「愛されているこどもらしく」を全員で練習し、心を込めて歌いました。講話では、井深八重の生涯を通して「照らされて生きる」とはどういうことかを共に考えました。

光に照らされて、はじめて見えるようになること。
そして、見えるようになったからこそ、気づくことができる――
神父様の言葉が、ひとりひとりの心に静かに響いたようです。

イースター直後の聖堂は、復活の喜びと祈りに満ちた特別な空間となっていました。

/

2・3年生は講堂に集まり、「光の子の愛に満ちた使命~奉仕の喜び~」をテーマに、神言会のシノザキ・エジルソン神父様からお話をいただきました。

神父様ご自身の豊かな体験を交えながら、「愛すること」「仕えること」「自分を誰かのために差し出すこと」について語られ、生徒たちは、これから社会に出て「光の子」としてどのように生きていくか、深く考える時間となりました。

1年生も2・3年生も、午前に2回、午後に1回の講話を受け、最後は「みことばの祭儀」で一日を締めくくりました。教室に戻ったあと、それぞれが心に残ったことや、神様との対話の中で気づいたことを振り返りとして記しました。

静かに芽吹くモクレンのつぼみのように、心の中に蒔かれた「光」が、これからの日々にゆっくりと育まれていきますように。生徒玄関前に立つマリア様のまなざしに見守られながら下校していく生徒たちが光の子としての新たな一歩を踏み出しました。

お電話・FAXでのお問い合わせ